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若柳

「昔々、わたしが中学生の頃は自転車で、もう少し大きくなってからはオートバイの荷台に載せて、みかん箱4つ分の最中の皮を配達に行ったんだよ」。そう言って兵藤國光さんは懐かしそうに笑いました。東京で和菓子職人をしていた國光さんのおじいさんでしたが、関東大震災に遭って焼け出され、若柳へ戻ってきたそう。以来、國光さんで三代目、國光さんの息子さんの光彦さんで四代目を数える老舗となりました。最中の皮の作りかたは、おじいさんの代からほとんど変わっていません。朝4時、おかみさんの佑子さんがもちをつくところから『兵藤最中』の一日は始まります。前日のうちに洗って干し、粉にしておいたもち米を熱湯で練り、蒸気にかけて蒸かします。それからついてのしをかけ、帯状に。「もっと簡単にこのかたちにするやり方もあるけれど、それだとうちの最中の味にならない。手間にはちゃんと意味があるんだ」。そう國光さんは言います。
國光さんと光彦さんの手元で、帯状のもちは短冊くらいの大きさにカットされ、金型に挟まれて火の中へ。金型は真鍮(しんちゅう)と銅の合金でできており、鳥や魚、小判、そして茅葺屋根の民家など、さまざまなかたちがあります。長年の職人の勘で焼き上がりを見極めると、火から外して金型をパカッとあけて取り出します。とてもきれいな黄金色。焼きたてを味わえば、ほんのり甘く香ばしく、さくさく軽い歯ざわり。口の中でしゅーっととけていきます。「この軽さと香ばしさを保ちながら、中にあんやアイスを詰めたときにしっとりなじんでおいしくなることが、おいしい最中の皮の条件。くりはら産のミヤコガネ、生地にかける手間、昔ながらの焼きかたがなかったら、この味にはなりません」。父と息子が並んで最中の皮を焼きあげる様子を、未来の五代目が目をきらきらさせて眺めています。

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